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映画「白痴」デジタル化計画に寄せて OKANOよりの  メッセージ

更新日:2019年8月26日



坂口安吾原作・手塚眞監督の映画「白痴」が公開されて20年が経ちました。

内容の深さと、映像美にこだわったこの作品を、改めて多くの皆さんに観ていただくため、デジタルリマスター化のためのクラウドファンデイングが始まっています!


詳しくはどうぞ朝日新聞社のクラウドファンディングサイトをご覧ください。

映画「白痴」特設サイトもオープンになりました! こちらもどうぞご覧ください。



《 OKANOより》

撮影は1998年。

新潟市内の広大な土地に、大きなセットが作られ撮影された、映画「白痴」。


撮影当時OKANOは、 漫画「陰陽師」のシリーズ中でも、大きな変化が起きていた第8巻の執筆の真最中でした。

新潟で「白痴」の撮影が進む中、私は若狭へ、奈良へ、若狭へ、吉野へ、再び若狭へ、

そして天川~和歌山へ、と縫うように取材と執筆を続けていた年。

( 今でこそ頻繁に起こりうる自然災害ですが、当時としては珍しく、天の水甕が割れたように、夏に北関東に大雨が降って那珂川が氾濫し水戸市が浸水した、印象に残る年でもありました。)

忙しく過ごしていた時期でもあって、「白痴」の原作は読んで知ってはいたけれど、映画の内容についてはほとんど白紙でした。


試写を観て、それは仰天したことを覚えています。

それは、漫画「陰陽師」の根底にあるテーマと同じでしたから。


前世紀末は、まだ、そのテーマは黙殺されていました。というか・・・

地球上で、本来の姿を隠され閉じ込められ力を奪われていた女神たちに、目覚められては困る・・・。  その部分が欠けていることに、気づかれても困る・・・。

目覚めたら、揉み消してしまおう・・・。

・・・まだ、そんな、目に見えない風を感じる時代でした。

ですので、そのようなものを企画しても、形にならないで壊れてしまう・・・。

その感覚って、お解りになりますか?


世の中がまだ求めていないものを、形として完成させるためには、別のことに気を逸らせて

おいて、隙を衝いて作ってしまう・・・そんな技が必要だった時代。


映画「白痴」はピュアなまま・・・真っ向から立ち向かって、精巧に女神復活の映画を作り上げてしまった・・・。そんな感じでした。

ですから、完成して形になったこと自体が奇跡に思えました。


今世紀に入って様々なことが起こり、人々の心のあり方も大きく変わり、女性性の本来の姿に光があたり出している今、私たち一人一人の中に内在する女神を復活させるために、抜かりない、「いのち」象徴に満ちている映画「白痴」。


この映画を、公開20周年目でもあり令和の時代幕開けでもある今年、プロジェクトに一肌脱ごうという皆さんのご支援をいただいて、デジタル映像化され、改めて多くの方たちに観ていただけたらなあと願っています。




公開当時、劇場用パンフレットに掲載された寄稿文「映画『白痴』にひそむもの」が、OGDOAD1999内にUPされています。

「陰陽師」の執筆のために、当時OKANOはまだ戦闘態勢でしたので、緊張感のある文体ではありますが、ご興味のある方はこちらもどうぞご覧ください。

原作にはない、女神復活と「いのち」のシンボリックな視点から「白痴」を観る手引きに

なれば幸いです。

         


令和元年7月3日 朔  岡野 玲子 



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