2019/2/5
ファンシイダンスについて幾つかの覚書 1
1980年代のバブル全盛期・・・きっと地球から不和は消えて行き、世界中のみんなが・・・人間も生き物たちも、皆が仲良く暮らし、発展してゆける未来が約束されている・・・。
誰もがそう信じられるほど、世の中にアートと遊び心が繁栄した。
ファインアートはもちろん、映像美を見せつけたコマーシャルアートに刺激され、奇抜なヘアスタイルやメイク、ファッションが街に溢れ出した。映画も様々な国の様々なジャンルが開花して、独特な映像美の映画が次々公開され、毎週映画館に通っても飽きないほど、新鮮で面白かった。
ミュージックシーンも然り。イギリス始めヨーロッパもアメリカも、個性豊かなロックバンドが次々誕生し、日々トップチャートが塗り替えられた。さらに華麗なMTVが拍車をかけた。
当然、日本の若者たちの間にも次々ロックバンドが結成された。
ライブハウス、ディスコ、ダンスクラブも次々増えた。
外国人タレントの来日は日常茶飯だった。チケットを手に入れるため、プロモーション会社やプレイガイドの前に皆並んだ。
週末ともなれば、原宿には「タケノコ族」が生えた。
湘南には「サーファー」ファッシヨンが。
横浜には「ハマトラ(横浜トラディショナルの略)」ファッションが流行った。
ファミコンブームも始まった。
そんな目眩く娯楽文化の発展と同時に、カールセーガン博士の宇宙の歴史に関するドキュメンタリー番組「コスモス」が放映されていた。正確な時代考証と、あまりにリアルな宇宙の映像美にドキドキさせられた。番組の間のコマーシャルも刺激的だった。
幻のアレクサンドリアの図書館が映像で表現され、時代を下れば当時の服装のままに、コペルニクスや、ティコ・ブラーエや、ガリレオ・ガリレイが登場して研究の様子を再現していた。さらには壇ノ浦の合戦も再現され、ヘイケガニまで登場した。
「OLIVE」や「POPEYE」等ファッション誌、情報誌も次々創刊されたけど、たくさんの科学雑誌も創刊されていた。「Newton」「日経サイエンス」「Quark」「OMNI」「Cosmo」等々。
そうそう、「ファンシイダンス」が連載された「プチフラワー(現在フラワーズ)」も80年に産声をあげていた。
華やかなファッションとカルチャーのシャワーに晒されながら、私たちは宇宙や地球や生命の誕生の秘密にも夢中になった。
それらは感覚を刺激して、常に私たちを磨き続けた。
学ぶことと遊ぶことの狭間で、若者たちはどちらかを選ぶことなんてできるわけなく、そうして皆、楽しくスノッブに転落した。
当時、作者も20代。とびっきりオシャレな漫画が描きたい。
だけど主役は思い切りハンディキャップを背負って欲しい。
軽くて綺麗なだけじゃ物足りないから。
それは80年代の当世風な発想でもあった。
かくして、恋と氾濫するカルチャーと歴史と伝統に身も心も揉みしだかれる、悩めるイケメン青年僧 塩野陽平 は出現しました。
《そんな陽平くんは・・・》
流行りにどっぷり浸かった奇抜なスタイルに、軽口をたたいて「陽気で平気の陽平だよ」と自称しているけれど、実はどこかで緊張感を求めていた。
そんな自分が一筋縄ではいかない危険人物だという事を、こっそり自覚していた。
ところが、根が優しいので、彼の冷徹な本音はユニークに歪んで表に出された。
幸か不幸か、陽平くんの危険性に逸早く気付いてしまったのがこのひと。上も下も赤の女。
赤石真朱さんだった。
続く。
2019/4/2 ところで・・・Happy Birthday Masoho-san!
ファンシイダンスについて幾つかの覚書 2
デビュー当時、編集側から提示されたテーマの三原則は、現代もの!学園もの!恋愛もの!
ところが、私の得意分野は歴史もの!冒険もの!ファンタジイ!
ウエスタンとか海賊もの、魔術ものとか、男臭いもの・・・でした!
(デビュー直前は某書で17世紀の海賊ものを描いていた)
そんな理由で苦しんだのち、そうか、自分の周りを見ればいいのかと、
前回の制作ノートに取り上げた、その当時好きだったものばかりで固めて描き始めたのが当作品。
そして・・・やっぱりそこは譲れない・・・と、
主役二人をめぐる三角関係を、パラケルススの錬金術の三元質、
《 硫黄 水銀 塩 》で構成したのです。
それで、 水銀 = 赤石真朱
の元カレは 硫黄 = 甲田硫一
そこに加わる主役は 塩 = 塩野陽平
よっしゃ、この三つが揃えば、ああしてこうして、卑金属から黄金が誕生する〜〜!
なんてファンシイ!
おまけに 現代もの!学園もの!恋愛もの! の少女漫画三原則 もクリアー!
なんてノリで連載が始まったわけです。
錬金術的比喩から見ると、《硫黄》は飛翔する鷲であったり、
《塩》は翼を備えた龍で表されたりするのですが、まあ、錬金術に関しては置いときまして、 今思えばこの頃から《水銀=真朱=丹生》という素材に、まだ理由も解らず魅了され(支配され?)
てはいたのですね。
と、クールに言い切ったものの、連載開始当時ダンスマガジンで有名な新書館から発売されていた、超美麗少女漫画雑誌「グレープフルーツ」で同時進行で「消え去りしもの」というファンタジィを偶数月、「ファンシイダンス」を奇数月で交互で執筆していたのも確か。
気づけば「消え去りしもの」の主役兄妹の魔術師は、魔力を帯びると深紅色に燃えていたではないですか、ああ、やっぱり初端から赤系来てました・・・。
(デビュー後初の単行本となった「消え去りしもの」)
ええと・・・気を取り直しまして・・・。
《逆らう女、真朱さんは・・・》
そんな生い立ちのマーキュリー(☿) 上も下も真赤の女、 赤石真朱さんは、
誰かが「これが今の流行りだ!」と大声で示せばそのままそれが本当に流行りとなって、
怒涛のように流れて行ってハッピーー!! な、当時の風潮に、果敢に逆らった。
何しろ当時は流行に敢えて逆らうことさえもが、逆説的に流行でもありオシャレでもあった時代。
誰かが17世紀調に着飾って見せれば、ベルエポック調の男装をして見る。あるいは胸元を十二単風に重ね着する。黒のレースの手袋やハンカチは必需品。 (もちろん若い世代が楽しんで満足
する程度だよっ!)
自分の頭や心に浮かぶ発想を、自由にポジティヴに表現できたし、表現そのものが身の回りに溢れていた時代だった。
逆らいすぎる真朱さんは、実際の自分の好みとは真逆へ走ることさえも平気。
紺地に小花柄のボックス襞スカート+紺のハイソックスファッションにも、敢えて挑戦してしまう。
おまけにミスマッチなトップスにサングラスとスニーカーで挑んでしまうから、コワイとか、アブナイも越えて、悪趣味と思われても怯まない。
本当は、多くの人が見逃してしまうようなことに気づいてしまう繊細な感覚の持ち主でありながら、それを隠して凄んでみせる彼女は、好かれるための嘘も媚びることもできない。
向かうところ敵多し彼女、実は陽平くんに似た80年代特有の破滅型の女子なのね。
そんな二人、真朱さんと陽平くんが出会って、常に斜に構えていた二人其々のアイデンティティの、二人諸共の崩壊が・・・・・・。
続く。
2019/7/3
ファンシイダンスについて幾つかの覚書 3
《エピソード 〇〇バンク編・・・》
男子キャラクターたちが自己の本音やセンス、ファッションと、将来継ぐべき家業や就職の現実とのギャップの間で、見栄を張ってもアイデンティティーを守ろうと死闘する中、真朱の周りの女子たちは、好みも将来も、本音をストレート。
(早く結婚しちゃいたい!と豪語するたまこの打算は…)
この《真朱さんの周囲のユニークな女友達たち》は、実は、
実際に当時、作者の周りにいてくれた友人たちがモデル。
彼女たちは、ファッションの趣味も、ミュージシャンの好みも、それ以外に、其々に様々な趣味があり、幅も広いし、色々知ってるし、一人一人からさらに繋がる友人たちも、多趣味で面白かった。
そして、語彙に富んだ彼女たちのガールズトークは、そのまま作品の中に使われた。
(“ゴ”から始まる黒い生き物とタコの違いについて… )
私は当時、女友達というものは、皆、仲は良いけど、酷くて、可笑しものなんだな・・・と、
普通に思っていたけれど、私の友人たちのユーモアのセンスは、案外独特で、とりわけて容赦が
なかったことに、大人になって人間関係が広がってから・・・気がついたのですね。
彼女たちの素敵(ヒドイ)なイタズラの最高峰といえば・・・、作中のエピソードで、80年代当時、街頭で臆面なく、誰彼かまわず配られていた「愛人バンク」という風俗系の勧誘DMを利用した、
誕生パーティーの招待状が真朱に届きますが、あれは実話。
日時が上書きされて、作者自身の誕生パーティーの招待状として送られてきたのですね。
ドレスコードまで書いてあった。爆!
ええ、次の月には、そのまま漫画になっていました!
もちろん手作りオードブルでパーティーを開いてくれたけど、そんな招待状を実際作って送って
くれる・・・いえ・・・爆笑ネタをくれるオトモダチはやっぱり凄かった〜〜! と。
《ディスコ ツルカメ??のモデルとは?・・・》
80年代当時、ロックで踊れる場所といえば、ディスコ。
中でも、新宿の「ツバキハウス」へは取材がてら友人たちと遊びに行ったのね。狙いは火曜日。
DJ大貫憲章主催の、ブリティッシュロック系のロンドンファッション満載、ニューウェイヴもコワイパンクスもみんな集まる、今でも熱いファンの多い「ロンドンナイト」という特別企画が毎週火曜日にあったのですね。(ちなみに作者はただの軟派なブリティッシュロック好きです。)
というわけで、つい《和風》を意識しすぎて、ちっともオシャレじゃない名前になってしまった「ディスコ ツルカメ」のモデルは「ツバキハウス」。
連載の後半では、芝浦のライヴハウス「インクスティック」なども参考にされていました。
「ツバキハウス」では、《美少年コンテスト》なる特別ショーにも実際遭遇したことがあって、
いろんな意味で受けまくったこともありました!
ええ、もちろん、即、作品に・・・。
また、真朱たちがパンクバンドの過激なオーディエンスにもみくちゃにされて、肩の関節が外れたり、靴をなくしたりの狂乱のライヴコンサートのモデルも、「ツバキハウス」での「トイドールズ」
(パンクバンド)のライヴでした。
「トイドールズ」と聞いて懐かしい方も、さっぱりの方もいると思いますが、「ロンドンナイト」の仕掛け人大貫憲章さんの対談企画を見つけたのでリンクを載せますね。ご興味のある方は、
80年代当時の熱い「ツバキハウス」の様子が語られていますので、どうぞ覗いて見てください。
◎http://music.usen.com/special/londonnite2014/
・・・パンクバンドのライヴといえば・・・初めて渡英した時、件の友人の一人に連れられて、
ロンドンで初めて行ったライヴが、やっぱりパンクバンド。「ステッィフ リトル フィンガーズ」という「アイルランドのザ・クラッシュ」的なバンドでした。
場所は超有名なブリクストンアカデミー。ブリクストンの駅を出ると街の中はロンドンの警官たちと警察犬がホールまでがびっしり列をなしていて。その列の間をロンドンのパンクスたちが埋め尽くし・・・。
歴史的にも由緒あるホールの二階席で見たけれど、二階から見下ろすと、一階は揉みくちゃの大嵐の海。
そこに、映画のロックコンサートシーンなどでよく見る、うねる人間の海の上に人間がダイヴ!
なんて光景があちこちで繰り広げられていて、ちょー怖かったのを覚えています。
ほんとはニューウエイヴ、ニューロマンティクス、美形ならなんでも派・・・な
私の友人たち・・・。
作中の真朱さんたちのように、チケット売り場にみんなで当番制で何日も並んで、当時美形で日本の乙女たちの心を鷲掴みにした「JAPAN」や「POLICE」の武道館ライヴにも前から6〜7列目くらいで見たこともあったけれど、案外ハードなライヴにも連れて行ってもらえてたのです。
当時の音楽の話題は尽きないのですが、また場所を改めて、ご紹介することにいたしまして・・・。
それらの80年代独特で貴重なカルチャー経験は、どちらかといえば、ヨーロッパの中世音楽や、プログレ。ヴァンゲリス好きで、中身がオタクだった私一人では、到底経験し得ない、
特殊で素敵な体験たちでした。
青春時代、とてもユニークな友人たちに恵まれていたことに・・・そのおかげで
「ファンシイダンス」が誕生したことに・・・今でも感動するのです。
ありがとう。たくさんの楽しい経験をプレゼントしてくれた、私の友人たち!
さて、当作品の主人公陽平くんは、こんな刺激に満ちた都会生活からお山の修行生活へと急降下。
ところが、修行道場のお坊さんたちは、さらに刺激的で、面白かったのです・・・。
続く。