2019/10/08 Message from REIKO OKANO

芝 祐靖先生のこと

 

芝先生が、笛の音頭を吹くと、颯風が巻き起こった。

それは、私たち聴き手の身体の中を吹き巡って、細胞の隅々まで、高揚させた。

そして、このままではいけない、何か・・・新しい、何かを、

始めたくてたまらない気持ちにさせた。

たった一人で、龍笛奏者3人分の音を出して、ホールを揺るがせていた。

力強いのに、大気に吸い付くように、どこまでもきめ細かな音色・・・。

笙の、軽やかな光の音が様々な色に輝いて、直に立ち昇る中、

放たれた龍のように、自在に空間を駆け巡る様も、

篳篥と絡み合って、千年以上昔の、豊かな景色が目の前に広がる様も、

垣間見せてくれた。

笛から流れ出る笛の調べだけではなくて、息を吸う、呼吸音まで、

魂がぞくぞくするほど魅せられた。

漫画「陰陽師」を執筆する間、常に先生の笛の音、琵琶の音が、

平安時代の現実感を支えてくださっていた。

博雅が、笛を吹きながら夜道を歩くシーンで・・・

朱雀門で、笛の木霊と戯れながら奏でるシーンで・・・ 

時の帝村上帝の、遊宴と文芸の粋を極めた、典雅な天徳内裏歌合を

執筆している間も・・・

 

雨乞いの旅の中でも・・・

また、晴明が、髪を逆立てて、「陵王」「安摩」を舞うシーンでも・・・

彼らがシーンの中で奏で、耳にする、当時の音楽を、読み手に聴かせたい・・・

まるで、漫画の中から聞こえててくるように・・・

それを願って・・描いている間、制作の場は、先生の笛の調べに浸されていた。

創造の力を奮い立たせる、芝先生の、突き抜けた笛の音。その演奏と、

一般人にも、雅楽や神楽の古代歌謡を教えようと、一漫画家を受け入れて下さった

飄々としたお人柄と出会えたこと・・・。   

 

それが・・・

稀代の陰陽師 安倍晴明と、雅楽の神様 源博雅の二人の掛け合いによって、物語

進行し、二人で多くの、歴史の中の謎を解き明かしてゆく  漫画「陰陽師」を、

完成の岸まで無事に漕ぎ着かせてくれた、力強い、原動力でした。

          《「music for 陰陽師」のこと》

読み手の皆さんにも、漫画に合わせた、身体に染みるような典雅な音色と、

表面的な柔な印象とは裏腹に、受け皿が大きくて芯が強靭な、雅楽を聴いて

もらいたい・・・それも、今の時代で、豊かな伸びやかな響きで・・・。

という願いが聞こえたのか、ビクターからディレクター石川氏が

「music for 陰陽師」の企画を持って訪ねて来て下さった

「music for 陰陽師」制作では、芝先生と、当時まだ伸び盛りの「伶楽舎」

皆さんが、大らかに楽しみながら録音に参加して下さった。

自然と融合した力強さが欲しかったから、大太鼓を起用して、とにかく

のびのび演奏していただいた。

 

芝先生の笛は、アレンジで加えられた雷の効果音に、負けるどころか、

ますます鬼気迫って冴え渡った。雷の効果の音量を上げれば上げるほど、

笛が雷を凌いで際立って聞こえ、雅楽の笛の本質が露わにされたようだった

舞楽の、舞い手によって歌われるはずの、廃絶してしまった、囀(さえずり)や

詠(えい)、さらに催馬楽(さいばら)「飛鳥井」を復元作曲していただいたうえ、歌って下さった。

先生が歌われた「青海波」の詠は、編曲者 浦田氏の絶妙なアレンジによって、

百鬼を率いて京都を夜行する、菅原道真公の朗々たる歌声へと変わった。

 

博雅が、朱雀門で笛を吹くと笛の音が谺して返ってくる、朱雀門の鬼の谺と、

博雅との一人二役を、軽々と絶妙なタイミングで、吹いて下さった・・・。

 

それは、平安時代を背景にした物語の臨場感を求めて、色々お願いすると、

何でも、夢のように実現してくださる、スーパーマンのようでした。

     

​             《芝先生との対談のこと》

その頃、「鳩よ!」(マガジンハウス)に「特集『陰陽師』世界に遊ぶ」が組まれ、芝先生との対談「安倍晴明と楽との関わりをさぐること」が掲載されました。

対談中、先生は雅楽や音律のことのみならず、東洋の古代社会の構築の基本的

ことを語ってくださり、この対談は、私が自分の思考や、行動の原点を、

思い出したい時に、いつも取り出して読んでいた大切な対談でした。

先生は、雅楽に関してはもちろん、古代中国に関しても、辞典のごとくに

ご存知で、古代中国の音楽や、古代朝鮮半島の音楽や、ベトナムの音楽、

現存する様々な古典音楽について研究され、また常に興味も探究も、

挑戦も尽きない・・・。 対談の記事に、収録はされなかったけれど、

シルクロードの終着地、日本には、正倉院があるから、譜面さえあれば、

シルクロードに伝わる古典音楽ならば、想像できないくらい大変だろうけれど、

何とか復曲できるはず・・・。と、声を弾ませて語られていた。

先生の心はアジア大陸を馳せるようで止まらない。

そして、常に常に、雅楽の普及、雅楽の興隆が心にあられた。

歌舞伎座があるように、能楽堂があるように、一般に開かれた、

雅楽堂を創りたい・・・そこで後継者たちが先輩の楽師たちから学んで、

古くから楽家に伝わる雅楽の譜面や、資料や楽器が、大事に保管される・・・

楽部の外にも、雅楽の学びの場を残したい・・・。 と、熱く語っておられた。

その言葉を、今も思い出すのです。

​ 

音律誕生のお話や、​なかなか聞くことのできない古代中国の音楽、平安時代の

雅楽の演奏の様子などもお話しくださり、雅楽のことに初めて触れる方にも、

雅楽の道を歩まれている楽師の皆さんにも、とても興味深い内容と思います。

ほぼ20年ぶりに、芝先生のご家族様、マガジンハウスの許可を得まして

こちらに再録いたしました。

当時の本の画像をクリックしてお読みください。掲載時そのままの姿で

​ご覧いただけます。

《八月八日のこと》

​八月八日に 、東京赤坂のサントリーホールブルーローズで芝先生を偲んで

「お別れの会」が催されました。

会場は、伶楽舎はじめ、多くのお弟子様達、先生に近しい関係者の皆さんの手で、

笙の音色を模した清々しい青竹に、絡みつく色とりどりの花々で、

美しく飾られていました。

何をお伝えしたら良いのでしょう。・・会場には、師として、友として、楽師として、

類稀なる演奏家であり、作曲家であり、研究者であり、指導者である芝 祐靖先生を、

敬愛してやまぬ方々、先生が大好きな方々が、集まられました。

先生への、とても繊細なお礼の辞の数々が述べられ、朗詠の「嘉辰」が・・・そして、

最後に、盤渉調の越天楽の会場の楽師全員による合奏が捧げられました。

捧げられた言葉、楽の調べ、集った仲間と交わされた挨拶の言葉、黙礼・・・、それら

一つ一つ・・・。その様々な方々の心中が、私の心の中を駆け抜けてゆきました。

それは・・・お別れ・・ というよりは、先生の遺志を継ぐ後継者たちの繋がりが、

改めて結び直されるような集まりでした。

写真は、芝祐靖先生作曲の「伎楽」で「行道乱序、酔胡、獅子、曲子」~獅子奮迅~。演者は天理大学雅楽部の皆さん。お酒に酔った胡の人にお酒を飲まされて酔って大暴れのお獅子が蓮華で制される、先生らしい茶目っ気たっぶりの流れです。

心の底を申せば、先生のことを記すのに、とても、一般的な言葉が使えないのです。

違和感があって・・。  とても、いらっしゃらないとは思えないのです。

御影を拝見していると、つい、語りかけてしまいたくなります。語りかけ、相談し、

教えを請いたくなってしまう・・・。

そして、実際、私も、多分楽師のみなさんも、そうするのだと思います。

先生の笛は、常に、私たちの冒険心や、刷新する心を促してくださいました。そして、

古典でありながら、今の時代に汎溢してゆける、古典音楽に秘められた精緻な精神性をも・・

先生の楽の音の、揺るぎない、けれど、静かな、真摯な自信と、光を散らすような喜びに

満ちた響きが、それを私たちに教えてくれました。

拠り所であった大きな柱が、光の翼をもって、様々な場所に向かって飛び去っていかれた・・・

けれど、身体を離れられて、先生は、却って偏在されて、まだまだ多くのことを

私たちに教えてくださるように、感じています。

今まで、先生から、直に学ぶことができなかった楽人たちの元へも、雅楽を学びたい、

生き生きとした笛を奏でたい、と願う心の元へ、先生はいらして、背後に立たれ、

笛の構えから、立ち方、気の下ろし方、深い、静かな、呼吸の仕方を・・・。

楽の合わせ方を・・・。皆んなで楽を奏で、歌い舞い、天地自然と一体になって

楽に遊ぶ喜びを・・・。

先生、美味しいお酒をご用意して、

先生が教えに来てくださるのを、皆で、お待ちしています。

​《舞光神社のこと》

芝先生のご先祖様一人、狛光高が祀られている神社が奈良公園の一角にあります。

拍子神社、とも、舞光神社ともいうとおっしゃっていました。

芝先生は奈良に行かれると、必ずここにお参りなさっていました。

清楚な御社が交差点のところにあります。

 

奈良の東大寺周辺までいらっしゃいましたら、どうぞ、探してみてください。